2019年2月

2019年1月25日     浜崎 眞実 神父

病気について

 

 毎年のように冬になるとインフルエンザが流行します。風邪とインフルエンザは似ていますが、検査してインフルエンザの病名がつくと職場など公の場には出ないように指導されます。学校では学級閉鎖となることもあります。

 現代社会では医療技術の発達進歩により、病気に対して一見科学的で客観的に向き合っているように思われています。しかし病名に関しては、人名がついていたり、身体における痛い箇所から「腰痛」だとか、症状を表して「気管支炎」だとか表現されます。「心不全」とは言うのに、なぜだか「脳不全」とは言わず「脳死」と言います。そこには客観的で科学的な判断によるのではなく恣意的な名づけがあるように感じます。この国の官僚や政府の得意技である「読み替え」なのかもしれません。病名をつけるための基準は何でしょう。私にはよく解りません。また、かつては病名はついていなかったのに、さまざまな病名がついて病気とされる人が増えているようにも感じます。

 病名を誰が、どういう観点からつけるのかによって境遇が大きく違ってしまうことがあります。たとえばハンセン病については、「らい予防法」が存在しているとき、患者として「らい病/ハンセン病」の病名がついたら療養所に一生隔離されます。そこで京都大学病院では「多発的神経症」と名づけて療養所に入所させることなく外来で診療および治療をしていました。その事実は「ハンセン病国賠訴訟」で、和泉真蔵さんが証言しました。また「性同一性障害GID」についてもこの病名がついて社会的に認知されるまでは「おかま」とか「変態」などと蔑称で呼ばれ差別されていました。病名がついて社会からは同情されたのか、理解されたのかは判断が難しいですが、偏見や差別は薄らいでいるように映ります。しかしながら病名がつくことがいいことなのかは疑問です。ハンセン病の場合では「らい(病)」という蔑称から「ハンセン病」との病名がついても偏見差別はなくならないばかりか、強化されたのが事実でしょう。病名は誰か権威ある者が一方的に名づけてそれが固定化されるときに、差別も固定化され強化されるようです。そのような現状を変えるために「当事者研究」ということもなされています。本人が自分で病名をつけるという取り組みです。日本政府も1994年に批准した「子どもの権利条約」も、子どもを保護の対象から権利の主体へとパラダイム(ものごとを見る枠組み)の転換を促すものです。

 

2019年1月24日