2018年7月

2018年6月25日                 宗教主事 浜崎 眞実 神父

「宗教と人権」

 今から10年前の2008年5月に「ハンセン病市民学会」の交流集会が東京で開催され、そこでは宗教部会のシンポジウムもあり、私が司会をしました。ハンセン病回復者で聖公会の信徒である方と浄土真宗本願寺派の僧侶と日本キリスト教団の牧師の三人がシンポジストでした。この牧師は、古くから今もなおハンセン病療養所と深いつながりをもっているキリスト教系の団体の責任ある立場の人です。

 そこで印象的だったのは、牧師の発言をめぐってのやりとりでした。彼は個人的な意見と断りながら「宗教の果たした功罪については、人権ということを考慮しなかったという問題はあるが、功のほうが大きかった」と主張しました。要するに宗教者には欠けていたことがあることを認めながらも、それは信仰に生きるのに精いっぱいで人権について配慮が足らなかったと言うのです。この考えに対して、まずシンポジストで聖公会の信徒でもある方からは功と罪という比較はおかしい。端的に罪だったので納得できないとの発言がありました。次にフロアーからも「宗教はどんな宗教でも神や仏の前では人間のいのちは等しく尊いことを主張しているはずで、それを法律の言葉にすると人権となる。そうであれば、人権を見失ったと言って人権が宗教とか信仰の世界の外にあるかのような発想ではおかしい。人権とは宗教の内側の根幹に関わるもので、宗教者は自分たちの足下をしっかり見つめる必要がある」との応答がありました。

 2005年3月に厚生労働省に提出された『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書』には、「ハンセン病問題は決して特殊な問題ではない。日本の国、社会の歩みを何よりも鮮明に写し出している。私たち一人一人の姿を写し出している鏡だ」との表現があります。この言葉を意識してみると、先のシンポジウムでのやりとりはとても大切なことを言い当てているように思います。人権に対しての意識の欠けた宗教とは、そもそも宗教とか信仰と呼べるものではないとの指摘であったと思うからです。      宗教主事 浜崎眞実 神父

※ハンセン病問題に関する検証会議では、宗教界の果たした役割について「隔離の現実に覆いを被せる、そのことは、ある意味で、究極の人権侵害と言うこともできよう」と厳しく指摘されている。(『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』2005年451頁)

2018年9月28日