2018年12月

クリスマスは何を祝うお祭りなのか

浜崎眞実 神父

ここ数年、「ハロウィン」という祭りが盛んです。ハロウィンを祝う習慣がいつ頃から日本でも始まったのか、よくわかりません。今年も10月末、人が集まるところでは深夜まで賑やかでした。それに対してクリスマスは1980年代には「教会さんもクリスマスをやるんですか」と言われる程、日本ではおなじみのお祭りでした。最近は世間ではあまり盛り上がらないようですが、クリスマスについて記してみます。

今から2000年くらい昔、ガリラヤの民衆のなかで生きたイエスはその時代の最大の帝国に支配されていた弱小の民族のただ中で、未婚のマリアを母として生まれました。しかも誕生において「居場所がなかった」と福音書は伝えます(ルカ2章7節)。そのことは、具体的に人間の歴史に神さまが介入したことを示します。そして同時に神さまの働きの偏りをも表現しています。なぜなら「けがれた罪びと」として差別と排除を受けている側に神さまがおられ、働かれることを意味しているからです。住民登録のためにふるさとに戻ったマリアとヨセフには「居場所がなかった」のはただ単に人口が増加して宿がなかっただけではなく、「けがれた存在」と見なされていたからでもあるのでしょう。

「まさかこんなところで!」と思うような場で誕生した無力な状態の幼子イエスを救い主=キリストとして祝うのがクリスマスです。そうであるならば、わたしの個人としての努力や頑張りという枠を越えて神さまの力が働く場に身体を運ぶことがクリスマスを祝うことになるのではないでしょうか。けがれた存在として「罪人」と見なされていた羊飼いたちが出かけて行って飼い葉桶に寝かせてある幼子を見つけたように(ルカ2章8〜20節)。

 全ての人が神さまの訪ずれを喜んで迎えるわけではありません。救い主の到来を心の底から待ち望んでいる人がいます。同時に来てもらっては困るという人、どうでもいいという人もいます。救い主の到来を心待ちにしている人たちの側に立ってその人たちの声を聞いて付き添っていくことがクリスマスを祝うことになります。イエスと出会ってその価値観と生き方に倣おうとするのは、立場を選ぶことでもあるからです。今の時代、2018年に神さまがこの世界にやって来て共に生きようとする場はどこでしょうか。イエスが家畜小屋で生まれ、そこに野宿をしていた羊飼いたちが真っ先に駆けつけたという福音書の物語から、想像力を働かせてみたいものです。

 

2019年1月24日