2023年1月25日
三 笠 幼 稚 園
朝のリレー
私は朝弱いので、起きようと決めた時間よりも30分前から段階的にアラームを設定しています。一度目が覚めても残り少ない時間を思いっきり寝てしまうかベッドの中にそのままいる、目覚めが良いときにはすぐ起きる、残念ですが譲れないルーティンです。朝の時間にワクワクするのは、ごミサや祈りをささげているときに『朝のリレー』という谷川俊太郎さんの詩の中にあるような「この地球ではいつもどこかで朝がはじまっている」ことを意識させられる瞬間。リレー競技のバトンや駅伝のタスキを受け取ったような重みがなく、朝になると今日を始めていく流れに自然と繋げられながら抱くトキメキです。
眠りから覚める顔はそれぞれ。地球がまわっているから何処かで朝は常に迎えられていて、やさしい気持ちや前向きな一日のスタートが巡っていたら良いなと思います。しかし、目を背けたくなるような現実を伝える数々のニュースが飛び込んでくると、安心して朝を迎えるのは当たり前のことではないとあらためます。私に寸分の狂いなく人の苦しみや痛みを想像することは勿論できず、持ち合わせている経験や知識はぜんぜん足りていません。限られた情報からも至らないのは自明のことですが、自分には何も出来ないと済ませてしまう話でないと呼び覚まされる感覚があります。
わたしたちは大切な人や身近に関わる人のため、それから見ず知らずの人のためにも祈ることができます。自分のことよりは、互いにお互いのことを祈るところに通ずるものがあるのです。かしこまっていなくても気持ちが込められていると祈りになっていることも。もはや朝だけの話ではなくなり、自分が起きていても眠っていても常に世界の何処かで誰かが皆のために祈っていることには励まされるものです。危険や不安が隣り合わせで眠ることもままならない人、夜中働いて空が明るくなってから寝床につく人と様々。何に目覚めているのか。一人ひとりの存在を知り心を込めることが、ともに生きていることを確かにしてくれます。 祖父江 優太 神父