2021年8月25日

2021年8月25日

三 笠 幼 稚 園

 私にとって家に帰ってすることと言えば手洗いとうがいです。はじめの頃はやっぱりお父さんやお母さんに言われたからだったのでしょうか、パンデミックに関らず当たり前のこととして子どものときから身についています。家の中にいても、トイレに行った後や食事の前に手を洗います。興味深いことに、イエスさまの時代も食事の前に手を洗っていました。衛生上の意味合いも考えられますが、どちらかと言うと宗教上の務めとして食事の前に手を清めることを大事にしていたので、守らない人がいたときに「汚れた手で食事をするのですか」(マルコ7:5)と非難する人がいました。きまりをしっかりと守って清く生きようとしているのに、気にしない人の様子を見て苛立ってしまったのだと思います。イエスさまは非難した人に向かって「あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」(マルコ7:8) とおっしゃいます。続く聖書の箇所からは、その言い伝えを守ることに頑張りすぎて見失っていることに気づかされます。神さまに向かっている心です。清めていただくのは、神さまのはたらきがあってこそです。言い伝えの方が先にきてはなりません。わたしたちの手洗いには清めという儀式的なことをそのまま当てはめることが出来ませんが、手を洗うことは自分の身や身近な大切な人を守ることに繋がっています。いただいている命と支えを感じるのは、言い伝えよりも先に自分のことを本気で想ってくれている姿を心のうちで受け取っているのだと思います。ずいぶん前のことですが、年明けのある新聞のコラムに「シトラスリボン運動」のことが掲載されていました。名前は運動を立ち上げた方たちの住む愛媛特産の柑橘に由来し、三つの輪になっているシトラスカラー(黄緑)のリボンを身に着けて感染症に対する中傷や差別をなくそうと訴えています。共感を支えとしているので署名活動をすることはなく、また中傷した人を非難することがありません。コラムを読んで気になったので早速「シトラスリボン」をネットで調べてみたのですが、「ただいま・おかえり」と言いあえる街なら安心して検査が受けられるし感染拡大を防ぐことに繋がるということ、感染者が「出た・出ない」ということ自体よりも的確な対応ができるかなのだということが載っていました。正しさの押し付けよりも前向きに今もこれからも求められている一歩であるように考えられます。「ただいま・おかえり」が言いあえる関係にあって排除はなく、一人ひとりが尊い存在として認め合える温かさがあると思います。感染対策にしても人それぞれで置かれている状況も様々ですが、わたしたちに出来る日々の対策の積み重ねと心ある過ごし方を大切にしたいものです。

宗教主事  祖父江 優太

2021年8月26日