2021年10月25日

2021年10月25日

三笠幼稚園

 わたしは神父になる前、準備のために東京と福岡の神学校でそれぞれ3年ずつ過ごしました。福岡の神学校の近くには、「火星人」という安いカラオケ店がありました。日本語を勉強していた外国籍の神学生がいたときは「日本語の勉強」という名目で一緒に行きました。ある時、中島みゆきさんの『糸』という曲が歌われたのですが、次々と流れてくる歌詞テロップから「『仕合わせ』って何だろう」という話になりました。歌詞に出てくる「仕合わせ」は、「幸福」の「幸(こう)」の字で書かれる「幸せ」ではなく、「仕合わせ」だったのです。調べてみますと、用法として「偶然性を重視するときは〝仕合わせ〟も好まれる」(明鏡国語辞典)のだそうです。「めぐりあわせ」に近い意味でした。

 「仕え合う」の漢字を使った「仕合わせ」は、『カトリック教会の教え』という日本の司教団によって日本人のために書かれた教理の解説書に記述があります。「〝人間〟という字は〝人(ひと)〟の〝間(あいだ)〟と書きます。日本人は〝あいだ〟を大切にする民族であるといわれ、〝ひと〟のことを〝人間〟と表現します。[…] 日本人はいつも他の人との〝あいだ〟を重視し、個人と共同体とを一体化して考えます。ですから人間の幸福を考えるときも、その〝間柄〟や〝世間〟また〝仲間〟との関係の在り方が重要になるのです。人は自分一人で幸福を得たとしても、真の幸福が互いに仕え合うこと、つまり〝仕合わせ〟に通じていることを知っています」(『カトリック教会の教え』p.267)と、このように伝えています。「幸せ」は互いに仕え合うこと、それで「仕合わせ」だというのです。

 イエスさまの弟子たちが「だれがいちばん偉いかと議論し合っていた」ときに、イエスさまからは「仕える者になりなさい」という言葉が投げかけられます。それから、イエスさまはご自身のことを「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ9・33-45)と仰います。わたしたちが心に留めたいことはイエスさまの姿です。力関係はなく、神さまの望みを知って自らを差し出し、人びとのために自分を与え尽くすこと、他者のための存在になりきったのです。感染対策で人との接触を減らすようにしていますが、わたしは一人で生きていくことが出来ないと以前よりも強く感じてしまいます。「めぐりあわせ」に大切なことを見いだしながら、お互いを高め合うことができたらと思います。

  宗教主事 祖父江 優太

2021年10月22日