2019年9月

2019年8月26日  三笠幼稚園

 今年の夏は遅い梅雨明けの後、毎日毎日命にかかわる猛暑が続きました。

夏休みはいかがお過ごしでしたでしょうか?

年々暑さの厳しい夏になっているような気がします。

私が子どもの頃は、30度を超えると、「とても暑い日」と思いながらも外で元気に遊んでいましたが、今は、気象予報で外での激しい運動は控え、不要な外出を控える程の異常な気象状況です。

エアコン=贅沢品と言われる時代もありましたが、今は年々暑さが厳しくなってきていますので、必需品になってきたのだと思います。

三笠幼稚園は2005年にエアコンを設置いたしました。

幼児期から寒暖に対する抵抗力をつけると良いと言われ、冬には薄着で汗腺をしっかり閉め、肌と寒さへの抵抗力を高め、夏は汗腺を緩め発汗で体温調整能力を身につける事が自律神経能力の育成に効果的と言われています。自律神経とは、体が不調になったりストレスがたまったりしたとき、自分の力で元に戻したり、良い状態へと戻す働きをする神経で、「たくましさ」の原動力となります。これから薄着を心がけ、言われなくても、寒ければ衣服を着る、暑ければ衣服を脱ぐなどの子ども達の寒さ・暑さへの自己管理能力を育てていきたいです。この暑さはまだまだ続きそうです。健康管理に気を付けて、保護者の皆様にご協力・お祈りをしていただき、行事の多い2学期を過ごしてまいりたいと思います。

夏の研修で「あなたは愛されて生まれてきた、大切な人」「失敗作などありません。一人ひとりが、神様の最高傑作なのです」マザーテレサの言葉から

2019年8月28日

2019年7月

2019年6月25日                                         三 笠 幼 稚 園

主の平和!

 皆さん、暑さ厳しき折柄、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。

 今日は教会が教えてくれる掟の中で一つである 「隣人を自分のように愛しなさいー第四の掟(あなたの父母を敬え」という

掟をカトリック教会のカテキズムで説明しながら皆さんと分かち合いたいと思います。

 まず両親に対して抱く思い、つまり愛情と感謝と尊敬は、私たちの導き、ともにいてくれる人との関わりにおいても、大切な

ことです。私たちには、生来の正当な権威を神様から役目として与えられた多くの人がいます。里親や継父母、年長の親類縁者、

教育者、先生、雇い主、上司などです。私たちは、第四の掟の精神をもって、そうした人たちに対して応えなければなりません。

 神様ご自分はその深みにおいて、三位一体の交わりです。人間の世界では、家庭は共同体の根源的な像です。家庭は、豊かな

関係のある生活を学ぶ素晴らしい学校です。子どもたちが育つのに、豊かな愛情、相互の尊敬、互いに対する責任を体験する、

健全な家庭ほどよい場所はありません。信仰も結局、家庭で育つのです。教会は、家庭を小さな教会、他の人たちを招き入れる

力のある 「家庭教会」であると教えます。その輝きは、信仰、愛、希望のある交わりの中に、他の人を招き入れます。

1。子どもは、どのように両親を尊敬しますか?

 子どもたちは、両親の愛によって命を受けたのですから、両親にまず感謝しなければなりません。この感謝の気持ちが、生涯

にわたる愛、尊敬、責任、正しい理解を伴う従順の関係を築くのです。とくに、困窮や病気や高齢のとき、子どもたちは愛を

もって親に寄り添い、誠実に世話をしなければならないのです。

2。親はどのように自分の子どもを大切しますか?

 子どもは神様からの贈り物であって、親の所有物ではありません。子どもは親の子である前に、神様の子どもなのです。親に

とって何よりも大切な義務は、自分の子に神様の愛を示し、キリスト教の正しい教えや考えを伝えることです。

3。家族は、どのようにともに信仰を行きますか?

 親は自分たちの信仰をもって子どもたちに寄り添い、子どもに洗礼を受けさせ、信仰の手本となることで彼らに尽くします。

つまり両親は、子どもたちが、愛に満ちた神様の現在と親しい交わりの中で生きることの価値と喜びを体験させらなければなり

ません。でも、親もまた、自分の子どもの信仰から学び、子どもを通して神様の声を聞くこともあるでしょう。なぜなら、若い

人の信仰には強い熱意があることが多く、また 「主は、しばしば若い人には、彼らにかなったよりよいものをお示しになるか

らです」 (聖ベネディクトの戒律3・3)。

こいうことがあるので、家庭の愛の中で養われた子どもたちに大事な神様の慈愛を伝えるために皆が一緒に心と力を合わせなけ

ればなりません。そのためのご協力をお願いいたします。

三笠幼稚園のお子様とご両親の家庭の中で神様のお恵みが豊かに注がれますように。アーメン。

                                                                                                 崔 源太神父

2019年8月28日

2019年6月

2019年5月27日

 新入園児は入園して、在園児は進級して早約2か月経ちます。

今年のゴールデンウィークは10連休という長いお休みでした。連休後の子ども達を心配していましたが、自分の居場所を見つけてきているようです。「ママに逢いたい」「おうちに帰りたい」と泣いているお子様がまだおりますが、心配はいりません。あと少しです。

 5月19日(日)に横須賀学院で「子育てフェアー」が良いお天気に恵まれたくさんの方にお越しいただき行われました。

三笠幼稚園も職員全員で参加いたしました。

折り紙でうさぎ・ネズミ・ミッフィー・ピカチュウ・ミニオンを折り三笠幼稚園のブースに来てくれた子ども達にプレゼントしました。

気になった事がありました。「ありがとうございます」の言えない子ども達・保護者の方が多かったことでした。

在園児の方には、今年の「1月の園だより」で一年間お金のかからない提案をいたしました。

「ありがとうを言う」という提案でした。実行していただいていますか?

三笠の子ども達は皆催促されなくても、何の抵抗もなく「ありがとうございます」と言える子ども達ばかりで自慢です。とても大切な事です。これから先も言い続けてほしいと願います。

カトリック賛歌より♪

1.おさなごを こさせなさいと 主のみことば めされてこらのなかにたち きょうのちからをつくしていこう

2.おさなごを つまずかすなと 主のみことば ひかりのこらのすんだめに きょうのこころをうつしていこう

3.おさなごに ならいなさいと 主のみことば めぐみのこらをまえにみて きょうのおもいをふかめていこう♪

園長 浅羽 裕子

 

2019年5月23日

2019年5月

2019年4月25日                         三笠幼稚園

 初めまして。 三笠幼稚園の子供たちとご両親そして先生方々にご挨拶を申し上げる事ができて嬉しいです。

 私は2018年9月15日、カトリック山手司教座聖堂で司祭叙階式をいたしましたチェ·ウォンテ(フィリポ)神父と申します。

 私は韓国のソウル教区で助祭叙階式をいただきましたけど、横浜教区に移籍しました。今はカトリック雪ノ下教会の叙任司祭として働いています。

 

 5月になったら私はいつもこの季節は素晴らしい季節だと思います。何故だろう考えて見るとまず、5月は世の中に生きている全ての被造物が生動する時期だからです。

そして、子供たちが神様と友達と一緒に元気に新学期を迎えて楽しく学んだり遊ぶ時期だからです。最後は、聖母マリアを思い起こし、敬う聖母の聖月なのです。

 

聖母マリア様を考えながらマリア様に私の願いを神様に伝えてくださるようにロザリオを唱える時、私はいつもマリア様の暖かさを感じております。これと同じように、ご両親方々のお子様たちも聖家族である皆様の暖かい家庭の中で両親からいただいている愛を感じると思います。

 

今年の三笠幼稚園の教育の目標は 「祈りの中から神様の愛を知り、豊かなお恵みをいただいて、感謝のうちに心も体も健やかに成長する」 と言うことなのです。

こいう目標に上手く迎えるための必要なことはまず両親たちと教会が神様の愛を現して、神様が私たちの人生の中で一番大切な存在だと言うことをお子様たちに伝えることです。

そのために私が皆様に願うことはどんなに忙しい時でも神様を考え、賛美と感謝を捧げる主日のミサに参列することと許しの秘跡を忠実に受けることなのです。各自が神様のお恵みと慈しみ愛を感じなければ信仰のための教育には、何の益もないです。

 

神様が愛する子供たちのために私も一生懸命お祈りします。先生方々と両親たちも神様の子供たちのためにご協力をお願いいたします。これからよろしくお願いいたします。新年、新学期に過ごしている皆様の家庭の中で神様のお恵みが豊かに注がれますようにお祈りしております。

 

最後に、幼きイエズスの聖テレジアの言葉で結びたいと思います。

 

「イエズス様がわたしたちに求められるのは、業ではなくわたしたちの愛だけです。」

宗教主事 フィリポ崔源太 神父

 

2019年5月23日

2019年4月

2019年4月10日

 進級・入園おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。

平成が終わり新しい年 令和 が5月より始まります。

平成の31年間は色々な事が起こった年でした。報道でも平成の様々な事を振り返っていました。皆様方はどんな年でしたでしょうか?

ご結婚され、お子様方が生まれた嬉しい年 平成 だったと思います。

 私は、この春休みに東日本大震災で被害にあわれ、8年前より皆様にご協力いただいております仙台のふじ幼稚園に皆様の「おにぎり献金」を届けてまいりました。震災のあった幼稚園はまだそのままで、2キロほど離れた場所に新園舎を建てて、三笠幼稚園の子ども達と同じく明るく、元気な子どもたちがお預かりで来ていました。三笠幼稚園が8年間ずっと続けている「おにぎり献金」がふじ幼稚園で形となって役立ち、生きていました。

ふじ幼稚園の鈴木園長先生から皆様にお礼のお言葉をいただきました。

これからも皆様のお子様方に震災の事を語り継いでいただき、今置かれている私たちの幸に感謝し「おにぎり献金」を続けていきたいと願っています。どうぞ宜しくお願い致します。

2005年4月より重職の園長職を任せられ今年度で15年目になります。不安と期待と喜びといろいろな気持ちから始まり、15年の年を迎えます。神様を信頼し賛美し、感謝を基に神様のなさった行いを日々の中で実行し、理解、協力、援助する心を大切にしてまいりました。保護者の皆様、教職員、その他皆様に助けられながらの毎日でした。今年度も皆様に助けていただきながら全員の職員で全員のお子様を見守り育てて一年間過ごしてまいりたいと思います。皆様のお祈り・ご理解・ご協力をお願い致します。

そして、新しく崔(チェ)神父様(雪ノ下教会)をお迎えし子ども達にお話をしていただいたり、行事に関わっていただきます。どうぞ宜しくお願い致します。 園長 浅羽 裕子

2019年4月22日

2019年2月

2019年1月25日     浜崎 眞実 神父

病気について

 

 毎年のように冬になるとインフルエンザが流行します。風邪とインフルエンザは似ていますが、検査してインフルエンザの病名がつくと職場など公の場には出ないように指導されます。学校では学級閉鎖となることもあります。

 現代社会では医療技術の発達進歩により、病気に対して一見科学的で客観的に向き合っているように思われています。しかし病名に関しては、人名がついていたり、身体における痛い箇所から「腰痛」だとか、症状を表して「気管支炎」だとか表現されます。「心不全」とは言うのに、なぜだか「脳不全」とは言わず「脳死」と言います。そこには客観的で科学的な判断によるのではなく恣意的な名づけがあるように感じます。この国の官僚や政府の得意技である「読み替え」なのかもしれません。病名をつけるための基準は何でしょう。私にはよく解りません。また、かつては病名はついていなかったのに、さまざまな病名がついて病気とされる人が増えているようにも感じます。

 病名を誰が、どういう観点からつけるのかによって境遇が大きく違ってしまうことがあります。たとえばハンセン病については、「らい予防法」が存在しているとき、患者として「らい病/ハンセン病」の病名がついたら療養所に一生隔離されます。そこで京都大学病院では「多発的神経症」と名づけて療養所に入所させることなく外来で診療および治療をしていました。その事実は「ハンセン病国賠訴訟」で、和泉真蔵さんが証言しました。また「性同一性障害GID」についてもこの病名がついて社会的に認知されるまでは「おかま」とか「変態」などと蔑称で呼ばれ差別されていました。病名がついて社会からは同情されたのか、理解されたのかは判断が難しいですが、偏見や差別は薄らいでいるように映ります。しかしながら病名がつくことがいいことなのかは疑問です。ハンセン病の場合では「らい(病)」という蔑称から「ハンセン病」との病名がついても偏見差別はなくならないばかりか、強化されたのが事実でしょう。病名は誰か権威ある者が一方的に名づけてそれが固定化されるときに、差別も固定化され強化されるようです。そのような現状を変えるために「当事者研究」ということもなされています。本人が自分で病名をつけるという取り組みです。日本政府も1994年に批准した「子どもの権利条約」も、子どもを保護の対象から権利の主体へとパラダイム(ものごとを見る枠組み)の転換を促すものです。

 

2019年1月24日

2019年1月

2019年1月9日

新年あけましておめでとうございます。

皆様の上に神様のお恵みが豊かに注がれますようにお祈り申し上げます。

 「ありがとうは魔法のことば」これは、Kis-My-Ft2というジャニーズのグループが昨年のクリスマスのニッポン放送のラジオチャリティーミュージックソンで24時間生放送を行ったメインテーマです。

毎年お金のかからない提案を新年にしています。今年は三笠幼稚園も「ありがとうを言う」という言葉を一年の目標にしたいと提案いたします。

三笠幼稚園の子ども達は日常生活を送る中で「ありがとうございます」何の抵抗もなく普通に言えます。保護者の皆様はいかがでしょうか?子どもさんが何かしてくれた時、何かを教えていただいたとき、スーパーのレジでお釣りを頂いたとき、何かをしていただいた時は勿論ですが・・・。「ありがとう」という言葉を言われてイヤな人はいないと思います。一年間大人の私達が進んでこの魔法の言葉を使ってみませんか??子ども達のお手本となるように!!  この冬休み中 年の瀬・年明けに「平成最後の○○」という言葉が多かったように感じました。2018年12月31日の読売新聞に平成で好きな歌・曲は何ですか?という世論調査で2位に大差をつけてSMAPの「世界に一人だけの花」という曲が幅広い世代から支持を得たそうです。♪No1にならなくてもいい もともと特別なOnly 1♪

私達大人は昔ながらのひとつのものさしを子ども達に当ててしまいがちです。たくさんのものさしを持って接し、認め・褒める事で子どもは自信を持ち、たとえ人から評価されない事でも失敗を恐れず積極的に行動する事が出来るようになります。 保護者の皆様は将来への責任で周りが見えなくなりがちですが、たくさんのものさしでお子様を見てほしいと願っています。 今年もどうぞ宜しくお願い致します。   園長 浅羽 裕子

 

2019年1月24日

2018年12月

クリスマスは何を祝うお祭りなのか

浜崎眞実 神父

ここ数年、「ハロウィン」という祭りが盛んです。ハロウィンを祝う習慣がいつ頃から日本でも始まったのか、よくわかりません。今年も10月末、人が集まるところでは深夜まで賑やかでした。それに対してクリスマスは1980年代には「教会さんもクリスマスをやるんですか」と言われる程、日本ではおなじみのお祭りでした。最近は世間ではあまり盛り上がらないようですが、クリスマスについて記してみます。

今から2000年くらい昔、ガリラヤの民衆のなかで生きたイエスはその時代の最大の帝国に支配されていた弱小の民族のただ中で、未婚のマリアを母として生まれました。しかも誕生において「居場所がなかった」と福音書は伝えます(ルカ2章7節)。そのことは、具体的に人間の歴史に神さまが介入したことを示します。そして同時に神さまの働きの偏りをも表現しています。なぜなら「けがれた罪びと」として差別と排除を受けている側に神さまがおられ、働かれることを意味しているからです。住民登録のためにふるさとに戻ったマリアとヨセフには「居場所がなかった」のはただ単に人口が増加して宿がなかっただけではなく、「けがれた存在」と見なされていたからでもあるのでしょう。

「まさかこんなところで!」と思うような場で誕生した無力な状態の幼子イエスを救い主=キリストとして祝うのがクリスマスです。そうであるならば、わたしの個人としての努力や頑張りという枠を越えて神さまの力が働く場に身体を運ぶことがクリスマスを祝うことになるのではないでしょうか。けがれた存在として「罪人」と見なされていた羊飼いたちが出かけて行って飼い葉桶に寝かせてある幼子を見つけたように(ルカ2章8〜20節)。

 全ての人が神さまの訪ずれを喜んで迎えるわけではありません。救い主の到来を心の底から待ち望んでいる人がいます。同時に来てもらっては困るという人、どうでもいいという人もいます。救い主の到来を心待ちにしている人たちの側に立ってその人たちの声を聞いて付き添っていくことがクリスマスを祝うことになります。イエスと出会ってその価値観と生き方に倣おうとするのは、立場を選ぶことでもあるからです。今の時代、2018年に神さまがこの世界にやって来て共に生きようとする場はどこでしょうか。イエスが家畜小屋で生まれ、そこに野宿をしていた羊飼いたちが真っ先に駆けつけたという福音書の物語から、想像力を働かせてみたいものです。

 

2019年1月24日

2018年11月

2018年10月25日

 10月6日に行われました運動会は保護者の方やご家族の方々に沢山の応援・声援を頂き、子ども達はひとまわり大きくなりました。開会式直前に雨が降ってきて慌てましたが、すぐ止み今年は外練習があまりできませんでしたが練習の時から努力したり、協力し合い勝ち負け以上に大切なことを学んだお子様の成長を確認できたのではないでしょうか?2002年度よりBSC(バディースポーツクラブ)を正課に取り入れ、その年から年長組の組体操を披露しています。今年の年長組は24人と今までで一番人数が少ないので心配致しましたが、心配をよそに子ども達はのびのびと楽しくそして緊張感を持ち技を披露し、立派にスペースシャトルを大空に飛び立たせる事が出来ました。年中・年少組も共に年齢にあった種目で、とてもよく頑張り楽しめました。運動会が終わり11月中旬までは季節も良くゆったりとした一日を送る事が出来る良い時期です。

 11月23日は「勤労感謝の日」です。日本はお米を作り、お米を主食としてきました。農家の人たちがおいしいお米がとれますようにと神様に祈り、たくさんの収穫を感謝し、お米をお供えし、皆でお祭りをし、お祝いしたのが「新嘗祭」であり、「勤労感謝の日」の始まりと言われています。今年も年長組は「お米作り」を体験しています。種もみを選ぶところから始めましたが、今年の猛暑の影響でプランターの水がお湯のようになってしまった影響か穂は実っているように見えましたが、もみの中は空っぽのものも多く、稲刈りをしましたが、いつもの年と比べると収穫が少ないです。  春に種もみを植え、「はやくおおきなってな!!」と声をかけながら大きくなったお米です。7か月かかって出来るお米作りの大変さを体験し、残さず、大切にし、世界中には一日3食満足に食事をとれないお友達がたくさんいることを忘れず、「何でもある」という事が「当たり前」と思ってしまいがちですが「当たり前でない」という事を思い直して「心から感謝する気持ち」を忘れないようにしなければならないと思います。

園長 浅羽 裕子

2019年1月24日

2018年10月

2018年9月25日                   宗教主事 浜崎 眞実神父

健康願望〜信仰より健康?〜        

 子どもの健やかな成長を願い、自分自身の健康を気づかって生活することは当然のことで、多くの人が関心をもっていることでしょう。しかしナザレのイエスの生き方から考えると、健康という価値が第一とは言えません。病気や障害との向き合い方について考えてみます。

 個人が健康を願うことと、国家やある団体が健康を優先的な価値として標榜することは区別するべきです。そうでないと「病院化した社会」をつくることになります。病気を治療すべきものと認識して人と関わるのは医療関係者であり、病院です。しかし、それだけが病気との向き合い方ではありません。病気の人とつながり、疾病そのものよりも周りの環境に働きかけることも大事です。また、医療モデルで人を見ることの問題性の指摘と社会モデルで見るように促されているのが現代において社会からの要請であり「時のしるし」でもあります。障害学などではすでにそのような考えを提唱しています。「障害者差別解消法」(2016年)でも、医療モデルから社会モデルへと障害を見る枠組みの変更が指摘されています。すなわち、障害は個人にあるのではなく、社会にあるとの認識です。教皇フランシスコが強調する「貧しい人の社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)」も、排除する意図はなくても、排除の機能が働いてしまうことへの自覚を促すものでしょう。「強制された健康」ということばもあります。戦時中、国民にとって健康は義務でした。病気や障害のある人は、国家にとって邪魔者であり非国民として排除されたのです。「役に立つかどうか」や「生産性があるか」という物差しとは別なところにイエスの福音のメッセージはあります。

 

【医療モデルと社会モデル】

 ともに障害学(disability studies)の概念です。医療モデルとは、障害は個人の能力・機能によって起こるものであり、障害者が味わう社会的不利はそのひと個人の問題だとする考え方であり、障害者には治療とリハビリが必要だという考え方です。つまりこの考え方では、社会的な不利は障害者自身が問題であって、社会が差別したという人権問題にならないのです。それに対して社会モデルでは、障害は社会の障壁によって作り出される、障害者が味わう社会的不利は社会の問題であり、障害者とは、社会の障壁によって能力を発揮する機会を奪われた人々と考えます。すなわち社会モデルは、個々の身体能力に着目するのではなく、社会の障壁に着目し、社会の環境に問題があると考えます。

 

2018年9月28日