園だより

宗教主事および園長のことば

2019年6月

2019年5月27日

 新入園児は入園して、在園児は進級して早約2か月経ちます。

今年のゴールデンウィークは10連休という長いお休みでした。連休後の子ども達を心配していましたが、自分の居場所を見つけてきているようです。「ママに逢いたい」「おうちに帰りたい」と泣いているお子様がまだおりますが、心配はいりません。あと少しです。

 5月19日(日)に横須賀学院で「子育てフェアー」が良いお天気に恵まれたくさんの方にお越しいただき行われました。

三笠幼稚園も職員全員で参加いたしました。

折り紙でうさぎ・ネズミ・ミッフィー・ピカチュウ・ミニオンを折り三笠幼稚園のブースに来てくれた子ども達にプレゼントしました。

気になった事がありました。「ありがとうございます」の言えない子ども達・保護者の方が多かったことでした。

在園児の方には、今年の「1月の園だより」で一年間お金のかからない提案をいたしました。

「ありがとうを言う」という提案でした。実行していただいていますか?

三笠の子ども達は皆催促されなくても、何の抵抗もなく「ありがとうございます」と言える子ども達ばかりで自慢です。とても大切な事です。これから先も言い続けてほしいと願います。

カトリック賛歌より♪

1.おさなごを こさせなさいと 主のみことば めされてこらのなかにたち きょうのちからをつくしていこう

2.おさなごを つまずかすなと 主のみことば ひかりのこらのすんだめに きょうのこころをうつしていこう

3.おさなごに ならいなさいと 主のみことば めぐみのこらをまえにみて きょうのおもいをふかめていこう♪

園長 浅羽 裕子

 

2019年5月23日

2019年5月

2019年4月25日                         三笠幼稚園

 初めまして。 三笠幼稚園の子供たちとご両親そして先生方々にご挨拶を申し上げる事ができて嬉しいです。

 私は2018年9月15日、カトリック山手司教座聖堂で司祭叙階式をいたしましたチェ·ウォンテ(フィリポ)神父と申します。

 私は韓国のソウル教区で助祭叙階式をいただきましたけど、横浜教区に移籍しました。今はカトリック雪ノ下教会の叙任司祭として働いています。

 

 5月になったら私はいつもこの季節は素晴らしい季節だと思います。何故だろう考えて見るとまず、5月は世の中に生きている全ての被造物が生動する時期だからです。

そして、子供たちが神様と友達と一緒に元気に新学期を迎えて楽しく学んだり遊ぶ時期だからです。最後は、聖母マリアを思い起こし、敬う聖母の聖月なのです。

 

聖母マリア様を考えながらマリア様に私の願いを神様に伝えてくださるようにロザリオを唱える時、私はいつもマリア様の暖かさを感じております。これと同じように、ご両親方々のお子様たちも聖家族である皆様の暖かい家庭の中で両親からいただいている愛を感じると思います。

 

今年の三笠幼稚園の教育の目標は 「祈りの中から神様の愛を知り、豊かなお恵みをいただいて、感謝のうちに心も体も健やかに成長する」 と言うことなのです。

こいう目標に上手く迎えるための必要なことはまず両親たちと教会が神様の愛を現して、神様が私たちの人生の中で一番大切な存在だと言うことをお子様たちに伝えることです。

そのために私が皆様に願うことはどんなに忙しい時でも神様を考え、賛美と感謝を捧げる主日のミサに参列することと許しの秘跡を忠実に受けることなのです。各自が神様のお恵みと慈しみ愛を感じなければ信仰のための教育には、何の益もないです。

 

神様が愛する子供たちのために私も一生懸命お祈りします。先生方々と両親たちも神様の子供たちのためにご協力をお願いいたします。これからよろしくお願いいたします。新年、新学期に過ごしている皆様の家庭の中で神様のお恵みが豊かに注がれますようにお祈りしております。

 

最後に、幼きイエズスの聖テレジアの言葉で結びたいと思います。

 

「イエズス様がわたしたちに求められるのは、業ではなくわたしたちの愛だけです。」

宗教主事 フィリポ崔源太 神父

 

2019年5月23日

2019年4月

2019年4月10日

 進級・入園おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。

平成が終わり新しい年 令和 が5月より始まります。

平成の31年間は色々な事が起こった年でした。報道でも平成の様々な事を振り返っていました。皆様方はどんな年でしたでしょうか?

ご結婚され、お子様方が生まれた嬉しい年 平成 だったと思います。

 私は、この春休みに東日本大震災で被害にあわれ、8年前より皆様にご協力いただいております仙台のふじ幼稚園に皆様の「おにぎり献金」を届けてまいりました。震災のあった幼稚園はまだそのままで、2キロほど離れた場所に新園舎を建てて、三笠幼稚園の子ども達と同じく明るく、元気な子どもたちがお預かりで来ていました。三笠幼稚園が8年間ずっと続けている「おにぎり献金」がふじ幼稚園で形となって役立ち、生きていました。

ふじ幼稚園の鈴木園長先生から皆様にお礼のお言葉をいただきました。

これからも皆様のお子様方に震災の事を語り継いでいただき、今置かれている私たちの幸に感謝し「おにぎり献金」を続けていきたいと願っています。どうぞ宜しくお願い致します。

2005年4月より重職の園長職を任せられ今年度で15年目になります。不安と期待と喜びといろいろな気持ちから始まり、15年の年を迎えます。神様を信頼し賛美し、感謝を基に神様のなさった行いを日々の中で実行し、理解、協力、援助する心を大切にしてまいりました。保護者の皆様、教職員、その他皆様に助けられながらの毎日でした。今年度も皆様に助けていただきながら全員の職員で全員のお子様を見守り育てて一年間過ごしてまいりたいと思います。皆様のお祈り・ご理解・ご協力をお願い致します。

そして、新しく崔(チェ)神父様(雪ノ下教会)をお迎えし子ども達にお話をしていただいたり、行事に関わっていただきます。どうぞ宜しくお願い致します。 園長 浅羽 裕子

2019年4月22日

2019年2月

2019年1月25日     浜崎 眞実 神父

病気について

 

 毎年のように冬になるとインフルエンザが流行します。風邪とインフルエンザは似ていますが、検査してインフルエンザの病名がつくと職場など公の場には出ないように指導されます。学校では学級閉鎖となることもあります。

 現代社会では医療技術の発達進歩により、病気に対して一見科学的で客観的に向き合っているように思われています。しかし病名に関しては、人名がついていたり、身体における痛い箇所から「腰痛」だとか、症状を表して「気管支炎」だとか表現されます。「心不全」とは言うのに、なぜだか「脳不全」とは言わず「脳死」と言います。そこには客観的で科学的な判断によるのではなく恣意的な名づけがあるように感じます。この国の官僚や政府の得意技である「読み替え」なのかもしれません。病名をつけるための基準は何でしょう。私にはよく解りません。また、かつては病名はついていなかったのに、さまざまな病名がついて病気とされる人が増えているようにも感じます。

 病名を誰が、どういう観点からつけるのかによって境遇が大きく違ってしまうことがあります。たとえばハンセン病については、「らい予防法」が存在しているとき、患者として「らい病/ハンセン病」の病名がついたら療養所に一生隔離されます。そこで京都大学病院では「多発的神経症」と名づけて療養所に入所させることなく外来で診療および治療をしていました。その事実は「ハンセン病国賠訴訟」で、和泉真蔵さんが証言しました。また「性同一性障害GID」についてもこの病名がついて社会的に認知されるまでは「おかま」とか「変態」などと蔑称で呼ばれ差別されていました。病名がついて社会からは同情されたのか、理解されたのかは判断が難しいですが、偏見や差別は薄らいでいるように映ります。しかしながら病名がつくことがいいことなのかは疑問です。ハンセン病の場合では「らい(病)」という蔑称から「ハンセン病」との病名がついても偏見差別はなくならないばかりか、強化されたのが事実でしょう。病名は誰か権威ある者が一方的に名づけてそれが固定化されるときに、差別も固定化され強化されるようです。そのような現状を変えるために「当事者研究」ということもなされています。本人が自分で病名をつけるという取り組みです。日本政府も1994年に批准した「子どもの権利条約」も、子どもを保護の対象から権利の主体へとパラダイム(ものごとを見る枠組み)の転換を促すものです。

 

2019年1月24日

2019年1月

2019年1月9日

新年あけましておめでとうございます。

皆様の上に神様のお恵みが豊かに注がれますようにお祈り申し上げます。

 「ありがとうは魔法のことば」これは、Kis-My-Ft2というジャニーズのグループが昨年のクリスマスのニッポン放送のラジオチャリティーミュージックソンで24時間生放送を行ったメインテーマです。

毎年お金のかからない提案を新年にしています。今年は三笠幼稚園も「ありがとうを言う」という言葉を一年の目標にしたいと提案いたします。

三笠幼稚園の子ども達は日常生活を送る中で「ありがとうございます」何の抵抗もなく普通に言えます。保護者の皆様はいかがでしょうか?子どもさんが何かしてくれた時、何かを教えていただいたとき、スーパーのレジでお釣りを頂いたとき、何かをしていただいた時は勿論ですが・・・。「ありがとう」という言葉を言われてイヤな人はいないと思います。一年間大人の私達が進んでこの魔法の言葉を使ってみませんか??子ども達のお手本となるように!!  この冬休み中 年の瀬・年明けに「平成最後の○○」という言葉が多かったように感じました。2018年12月31日の読売新聞に平成で好きな歌・曲は何ですか?という世論調査で2位に大差をつけてSMAPの「世界に一人だけの花」という曲が幅広い世代から支持を得たそうです。♪No1にならなくてもいい もともと特別なOnly 1♪

私達大人は昔ながらのひとつのものさしを子ども達に当ててしまいがちです。たくさんのものさしを持って接し、認め・褒める事で子どもは自信を持ち、たとえ人から評価されない事でも失敗を恐れず積極的に行動する事が出来るようになります。 保護者の皆様は将来への責任で周りが見えなくなりがちですが、たくさんのものさしでお子様を見てほしいと願っています。 今年もどうぞ宜しくお願い致します。   園長 浅羽 裕子

 

2019年1月24日

2018年12月

クリスマスは何を祝うお祭りなのか

浜崎眞実 神父

ここ数年、「ハロウィン」という祭りが盛んです。ハロウィンを祝う習慣がいつ頃から日本でも始まったのか、よくわかりません。今年も10月末、人が集まるところでは深夜まで賑やかでした。それに対してクリスマスは1980年代には「教会さんもクリスマスをやるんですか」と言われる程、日本ではおなじみのお祭りでした。最近は世間ではあまり盛り上がらないようですが、クリスマスについて記してみます。

今から2000年くらい昔、ガリラヤの民衆のなかで生きたイエスはその時代の最大の帝国に支配されていた弱小の民族のただ中で、未婚のマリアを母として生まれました。しかも誕生において「居場所がなかった」と福音書は伝えます(ルカ2章7節)。そのことは、具体的に人間の歴史に神さまが介入したことを示します。そして同時に神さまの働きの偏りをも表現しています。なぜなら「けがれた罪びと」として差別と排除を受けている側に神さまがおられ、働かれることを意味しているからです。住民登録のためにふるさとに戻ったマリアとヨセフには「居場所がなかった」のはただ単に人口が増加して宿がなかっただけではなく、「けがれた存在」と見なされていたからでもあるのでしょう。

「まさかこんなところで!」と思うような場で誕生した無力な状態の幼子イエスを救い主=キリストとして祝うのがクリスマスです。そうであるならば、わたしの個人としての努力や頑張りという枠を越えて神さまの力が働く場に身体を運ぶことがクリスマスを祝うことになるのではないでしょうか。けがれた存在として「罪人」と見なされていた羊飼いたちが出かけて行って飼い葉桶に寝かせてある幼子を見つけたように(ルカ2章8〜20節)。

 全ての人が神さまの訪ずれを喜んで迎えるわけではありません。救い主の到来を心の底から待ち望んでいる人がいます。同時に来てもらっては困るという人、どうでもいいという人もいます。救い主の到来を心待ちにしている人たちの側に立ってその人たちの声を聞いて付き添っていくことがクリスマスを祝うことになります。イエスと出会ってその価値観と生き方に倣おうとするのは、立場を選ぶことでもあるからです。今の時代、2018年に神さまがこの世界にやって来て共に生きようとする場はどこでしょうか。イエスが家畜小屋で生まれ、そこに野宿をしていた羊飼いたちが真っ先に駆けつけたという福音書の物語から、想像力を働かせてみたいものです。

 

2019年1月24日

2018年11月

2018年10月25日

 10月6日に行われました運動会は保護者の方やご家族の方々に沢山の応援・声援を頂き、子ども達はひとまわり大きくなりました。開会式直前に雨が降ってきて慌てましたが、すぐ止み今年は外練習があまりできませんでしたが練習の時から努力したり、協力し合い勝ち負け以上に大切なことを学んだお子様の成長を確認できたのではないでしょうか?2002年度よりBSC(バディースポーツクラブ)を正課に取り入れ、その年から年長組の組体操を披露しています。今年の年長組は24人と今までで一番人数が少ないので心配致しましたが、心配をよそに子ども達はのびのびと楽しくそして緊張感を持ち技を披露し、立派にスペースシャトルを大空に飛び立たせる事が出来ました。年中・年少組も共に年齢にあった種目で、とてもよく頑張り楽しめました。運動会が終わり11月中旬までは季節も良くゆったりとした一日を送る事が出来る良い時期です。

 11月23日は「勤労感謝の日」です。日本はお米を作り、お米を主食としてきました。農家の人たちがおいしいお米がとれますようにと神様に祈り、たくさんの収穫を感謝し、お米をお供えし、皆でお祭りをし、お祝いしたのが「新嘗祭」であり、「勤労感謝の日」の始まりと言われています。今年も年長組は「お米作り」を体験しています。種もみを選ぶところから始めましたが、今年の猛暑の影響でプランターの水がお湯のようになってしまった影響か穂は実っているように見えましたが、もみの中は空っぽのものも多く、稲刈りをしましたが、いつもの年と比べると収穫が少ないです。  春に種もみを植え、「はやくおおきなってな!!」と声をかけながら大きくなったお米です。7か月かかって出来るお米作りの大変さを体験し、残さず、大切にし、世界中には一日3食満足に食事をとれないお友達がたくさんいることを忘れず、「何でもある」という事が「当たり前」と思ってしまいがちですが「当たり前でない」という事を思い直して「心から感謝する気持ち」を忘れないようにしなければならないと思います。

園長 浅羽 裕子

2019年1月24日

2018年10月

2018年9月25日                   宗教主事 浜崎 眞実神父

健康願望〜信仰より健康?〜        

 子どもの健やかな成長を願い、自分自身の健康を気づかって生活することは当然のことで、多くの人が関心をもっていることでしょう。しかしナザレのイエスの生き方から考えると、健康という価値が第一とは言えません。病気や障害との向き合い方について考えてみます。

 個人が健康を願うことと、国家やある団体が健康を優先的な価値として標榜することは区別するべきです。そうでないと「病院化した社会」をつくることになります。病気を治療すべきものと認識して人と関わるのは医療関係者であり、病院です。しかし、それだけが病気との向き合い方ではありません。病気の人とつながり、疾病そのものよりも周りの環境に働きかけることも大事です。また、医療モデルで人を見ることの問題性の指摘と社会モデルで見るように促されているのが現代において社会からの要請であり「時のしるし」でもあります。障害学などではすでにそのような考えを提唱しています。「障害者差別解消法」(2016年)でも、医療モデルから社会モデルへと障害を見る枠組みの変更が指摘されています。すなわち、障害は個人にあるのではなく、社会にあるとの認識です。教皇フランシスコが強調する「貧しい人の社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)」も、排除する意図はなくても、排除の機能が働いてしまうことへの自覚を促すものでしょう。「強制された健康」ということばもあります。戦時中、国民にとって健康は義務でした。病気や障害のある人は、国家にとって邪魔者であり非国民として排除されたのです。「役に立つかどうか」や「生産性があるか」という物差しとは別なところにイエスの福音のメッセージはあります。

 

【医療モデルと社会モデル】

 ともに障害学(disability studies)の概念です。医療モデルとは、障害は個人の能力・機能によって起こるものであり、障害者が味わう社会的不利はそのひと個人の問題だとする考え方であり、障害者には治療とリハビリが必要だという考え方です。つまりこの考え方では、社会的な不利は障害者自身が問題であって、社会が差別したという人権問題にならないのです。それに対して社会モデルでは、障害は社会の障壁によって作り出される、障害者が味わう社会的不利は社会の問題であり、障害者とは、社会の障壁によって能力を発揮する機会を奪われた人々と考えます。すなわち社会モデルは、個々の身体能力に着目するのではなく、社会の障壁に着目し、社会の環境に問題があると考えます。

 

2018年9月28日

2018年9月

2018年8月27日                 園長 浅羽 裕子

 今年の夏休みはどうお過ごしになりましたでしょうか?

猛暑日が続きました。幼稚園は夏休みに入ってすぐ園舎のエアコンを全部新しく取り換えました。次に事務室の床を張替え、外水道を取り換え、7月30日からは園庭のゴムチップを張り替えました。小さいバスも新しくなりました。

きれいになりました三笠幼稚園がお子様方の安全を願ってお迎えいたします。

園庭のゴムチップは“横須賀の海”をイメージし、創立60周年記念の船の遊具・外水道と統一して”青“にしてみましたがいかがでしょうか?

 夏の猛暑の後は秋・冬と季節が進みます。

過ごしやすい季節は少なく寒い冬がやってくるのでしょうか?

今はまだ夏のうだるような暑さにうんざりしていますが、秋から冬にかけてお部屋でゆっくり絵本を読み聞かせる時間を作りませんか?

保護者の皆様はお子様が心豊かに思慮深く心身ともに健康に育って欲しいと願っておられると思います。なにかと不安の多いこの社会を人間らしく生き抜いてほしいと。

世の中には保護者の皆様の気持ちを急き立て、迷わず情報があふれています。

絵本には子どもの人としての能力を育て、親と子を幸福と信頼で包む宝が埋もれています。

身体も心も親に抱き留められ保護者の皆様からの丸ごとの愛を感じていられる時間です。

無償のただ温かく抱き留められる愛に満たされて欲しいです。

2学期は皆様にご協力いただく行事がたくさんあります。

一つ一つを楽しみながら過ごしていきたいと思います。

最近は幼稚園の行事に参加したり、協力する機会が多いことが保護者の皆様から嫌われがちですが、家庭と少し違ったお子様の姿を知る良い機会です。嫌がらずにたくさん幼稚園の行事に参加・協力していただきたいと思います。

私の経験上今から数年が子育てで一番楽しい時期ですよ!!

楽しんで子育てしてください。

2018年9月28日

2018年7月

2018年6月25日                 宗教主事 浜崎 眞実 神父

「宗教と人権」

 今から10年前の2008年5月に「ハンセン病市民学会」の交流集会が東京で開催され、そこでは宗教部会のシンポジウムもあり、私が司会をしました。ハンセン病回復者で聖公会の信徒である方と浄土真宗本願寺派の僧侶と日本キリスト教団の牧師の三人がシンポジストでした。この牧師は、古くから今もなおハンセン病療養所と深いつながりをもっているキリスト教系の団体の責任ある立場の人です。

 そこで印象的だったのは、牧師の発言をめぐってのやりとりでした。彼は個人的な意見と断りながら「宗教の果たした功罪については、人権ということを考慮しなかったという問題はあるが、功のほうが大きかった」と主張しました。要するに宗教者には欠けていたことがあることを認めながらも、それは信仰に生きるのに精いっぱいで人権について配慮が足らなかったと言うのです。この考えに対して、まずシンポジストで聖公会の信徒でもある方からは功と罪という比較はおかしい。端的に罪だったので納得できないとの発言がありました。次にフロアーからも「宗教はどんな宗教でも神や仏の前では人間のいのちは等しく尊いことを主張しているはずで、それを法律の言葉にすると人権となる。そうであれば、人権を見失ったと言って人権が宗教とか信仰の世界の外にあるかのような発想ではおかしい。人権とは宗教の内側の根幹に関わるもので、宗教者は自分たちの足下をしっかり見つめる必要がある」との応答がありました。

 2005年3月に厚生労働省に提出された『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書』には、「ハンセン病問題は決して特殊な問題ではない。日本の国、社会の歩みを何よりも鮮明に写し出している。私たち一人一人の姿を写し出している鏡だ」との表現があります。この言葉を意識してみると、先のシンポジウムでのやりとりはとても大切なことを言い当てているように思います。人権に対しての意識の欠けた宗教とは、そもそも宗教とか信仰と呼べるものではないとの指摘であったと思うからです。      宗教主事 浜崎眞実 神父

※ハンセン病問題に関する検証会議では、宗教界の果たした役割について「隔離の現実に覆いを被せる、そのことは、ある意味で、究極の人権侵害と言うこともできよう」と厳しく指摘されている。(『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』2005年451頁)

2018年9月28日
› 続きを読む